【なつぞら】山田天陽はモデルの画家が実在?神田日勝の経歴や代表作・共通点も調査!

こんにちは!タンゴです。

NHK朝ドラ「なつぞら」で絵を描くのが好きな少年・山田天陽の家に遊びに行ったなつ。

自宅アトリエには、天陽が描いた絵が何枚もありました。

山田天陽のモデルは、実在の画家・神田日勝ではないかと言われています。

この記事では、

  • 山田天陽の半生
  • 神田日勝の経歴や作品
  • 山田天陽と画家・神田日勝の共通点

についてまとめました。


山田天陽の半生

なつが学校で出会った絵を描くのが好きな男の子が、山田天陽です。

いつも熱心に絵を描いている少年の姿と、その絵に、なつは引き込まれるのでした。

一家で、東京から疎開して、北海道に入植しましたが、あばら家と荒地をあてがわれ、開拓には困難を要します。

家では絵の才能のある兄が、色絵の具で絵を描いていて、天陽は、兄の使わない安価な黒の絵の具一色で、馬の絵を描いていました。

子供時代は荒井雄斗(あらいたけと)が、そして青年時代は吉沢亮が演じます。

天陽は、なつに絵心を教えた青年画家という設定で、なつの生涯に大きな影響を与える存在となります。

山田一家は、東京に住んでいましたが、戦争で家屋を失い、北海道に移住してきました。

しかし、山田家の土地は荒れ地で、農作物が育たず、貧乏な生活をしいられます。

天陽の兄の陽平も絵の才能に恵まれ、一家の期待を背負って、東京に行き、奨学金を得て芸術大学に通います。

しかし、天陽は、中学卒業後、進学せずに実家の農作業を手伝います。

農作業の合間に、べニヤ板に絵を描き続けます。

お菓子屋・雪月の店内に飾ってあったベニヤ板に描いた絵を、演劇部の倉田先生が気に入って、舞台美術を任されることになります。

神田日勝(かんだにっしょう)の経歴や代表作

神田日勝の経歴

生年月日:1937年12月8日

没年月日:1970年8月25日(満32歳)

出生地:東京市板橋区練馬(現・東京都練馬区練馬)

東京市板橋区練馬(現東京都練馬区練馬)生まれ。

8歳のときに戦火を逃れる為に一家で北海道鹿追町へ疎開し、そのまま定住。

農業をするかたわら独学で油絵をはじめ、その後、平原社美術協会展(平原社展)や全道美術協会展(全道展)で活躍。

北海道を代表する画家として評価を得つつも、32歳で死去した。

引用:Wikipedia

神田日勝は、1945年の東京大空襲に遭遇し、一家で北海道鹿追町へ疎開しました。

5人兄弟の4番目として育ちます。

鹿追中学校に入学し、美術部を創設します。

15歳の頃、兄の一明の影響を受け、油絵を始めます。

中学卒業後は、東京芸術大学に進んだ兄に代わり、家業である農業を継ぎます。

1962年に結婚し、一男一女を授かります。

1970年に風邪をこじらせ、体の不調で入院しますが、病状が悪化。

同年8月25日、腎盂炎による敗血症のため死去、32歳でした。

神田日勝の代表作

1956年「痩馬」平原社展出展朝日奨励賞受賞。

1960年「家」全道展初入選。

牛(1964年)、画室A(1966年)、室内風景(1970年)馬(1970年・絶筆)など

作品の特徴は、ベニヤ板にペインティングナイフを使って描いていることです。

作品は、北海道鹿追町立神田日勝美術館以外に、北海道立近代美術館、北海道立帯広美術館、福原記念美術館にも所蔵されています。

いくつか代表作を紹介します。

たびたび、作風を変えた画家と言われているますが、力強いタッチと色使い、細かい観察が特徴的です。

死んだ馬をモチーフとした作品「死馬」、北海道立近代美術館所蔵の作品です。

遠近法の技法を取り入れた作品「室内風景」は、北海道立近代美術館所蔵です。

死の直前まで描いていた未完の作品「馬」は、神田日勝美術館所蔵です。

途中までしか描かれていないことで、描き方がわかるので、面白い作品です。

同美術館のシンボルマークにも採用されています。

山田天陽と神田日勝の共通点

なつぞらの山田天陽と画家の神田日勝の共通点は、随所にみられます。

まずは、実際のビジュアルを確認してみましょう。

左から、子供時代の山田天陽(荒井雄斗)、神田日勝、青年時代の山田天陽(吉沢亮)です。

並んでも違和感がないのが凄いところですが、実際の、神田日勝は、荒地を開拓したというだけあって逞しい体型ですね。

神田日勝の半生をベースに、なつぞらの中で描かれる山田天陽のエピソードとの共通点を見ていきます。

東京から家族で北海道に疎開

東京大空襲で父親が仕事を失い、家族で東京から拓北農兵隊として北海道十勝地方に疎開しました。

農業の素人だった家族に与えられた土地は、荒地と粗末な家で、農業だけでは生計がたたず、父は郵便配達の仕事を得て、なんとか生活をしていました。

兄弟で絵を描くのが得意で兄は東京の芸術大学に進学

兄弟で絵を描くのが得意で、兄は東京芸大に進学しました。

日勝は、兄からの指導で油絵を始めました。

中学を卒業後農作業に従事する

家庭の経済事情で、二人を大学やることはできなかったようです。

日勝は兄の一明に代って農業を継ぐといって、中学卒業後は農作業をしながら、絵を描き続けました。

農業の収入で、画家を続けるのはなかなか困難だったようで、離農を考えたこともあったようです。

また、「農民であり、画家である」と言っており、二つの職業を分けて考えていたようです。

ベニヤ板に絵を描く

日勝の絵の特徴として、ベニヤ板に絵を描くということがあげられていますが、天陽もまた、ベニヤ板に絵を描いていました。

農業に慣れていなかった父は、老馬を買わされ、その馬はすぐに死んでしまいました。

日勝も天陽も、馬をモチーフに絵を描いているというのも共通する特徴です。

おわりに

なつぞらの登場人物の山田天陽のモデルは夭折の画家・神田日勝ということについて、まとめました。

二人の半生は、ほぼ同じようですが、ドラマの山田天陽は、まだ若いので、今後どのような人生を歩んでいくのかが気になりますね。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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