なつぞら東洋動画とアニメーターは実在?坂場一久や神地航也のモデルも調査!

こんにちは!タンゴです。

第14週では、短編作品の原画を担当することになったヒロイン・なつの、アニメーション制作のプロジェクトを進めていく様子が描かれ、東洋動画のさまざまな個性豊かなスタッフたちも登場し、日本のアニメーションの創成期の様子がよくわかります。

この記事では、

  • 東洋動画の実在モデル
  • 坂場一久(監督見習い)の実在モデル
  • 神地航也(新人アニメーター)の実在モデル

についてまとめました。

なつぞらやアニメーションに興味のある人の参考になれば嬉しいです。

東洋動画の実在モデル

なつの働く東洋動画は、もともと新東京動画と言う漫画映画制作会社が、東洋映画に買収されてできた会社と言う設定です。

この東洋動画は親会社が東洋映画という映画会社で、社長は、北海道の映画館で宣伝広告に登場した大杉満(角野卓造)です。

日本のアニメーションに将来性を感じて、東洋一の漫画動画のスタジオを設立しました。

東洋動画のモデルは東映動画と言う会社で、現在は東映アニメーションという名称になっています。

東映動画の略歴

1948年日本動画株式会社設立(高校の空き教室からスタート)

1952年日動映画株式会社に商号変更

1956年東映が日動映画を買収して、東映動画株式会社発足(新スタジオが完成)

1958年日本初の総天然色(カラー)の長編アニメを「白蛇伝」公開(「白蛇姫」のモデル)

1998年東映アニメーション株式会社に商号変更

東洋動画のモデルは、ドラマで描かれた昭和30年代に発足した東映動画です。

坂場一久(中川大志)の実在モデル

東洋動画に監督見習いとして入社した不器用だが、アニメーションに対する熱意は人一倍の文学青年。

東大卒で哲学専攻、父親は大学教授と、アカデミックな家庭環境で育ちます。

時代考証を担当した小田部羊一氏によると、坂場一久のモデルは、高畑勲です。

坂場は、東京大学哲学科出身という設定だが、高畑氏は、東京大学文学部仏文科出身です。

坂場一久となつが、動画制作の過程で、言い争ったり意見を戦わせるシーンがありますが、これは、小田部氏と高畑氏のエピソードによるものとのこと。

高畑勲の略歴

1935年10月29日三重県宇治山田市(現・伊勢市)生まれ。

東京大学教養学部文科二類から文学部仏文科に進学。卒業後、1959年4月東映動画に演出助手として入社。

1971年Aプロダクション(現・シンエイ動画)へ移籍。

1973年ズイヨー映像(現・日本アニメーション)へ移籍。

1985年、スタジオジブリ設立に参画。

1998年、1998年秋の紫綬褒章を受章。

2018年4月5日肺がんのため死去。(82歳)

趣味は音楽鑑賞と勉強。

高畑勲は、言わずと知れた映画監督、アニメーション演出家、プロデューサーとして活躍し、宮﨑駿氏、小田部羊一氏とともに、日本のアニメーション界を切り開いた人物です。

スタジオジブリの鈴木敏夫氏は、生前の高畑氏について

  • いい作品を作ることがすべてであってその他のことにはまったく配慮しない人
  • よくいえば作品至上主義。でも、そのことによって、あまりにも多くの人を壊してきたことも事実

と語っており、アニメーションのリアリティと言うテーマを、一生をかけて追い求めていたそうです。

劇中で、アニメーションとは何か?について、自分の考えをなつに語るシーンがあったり、合間をみては、本を読み漁るなど、生前の高畑氏の人物像を垣間見ることができます。

また、大塚康生氏(下山克己のモデル)は、

  • 音楽に関しては特に造詣が深く、ピアノも弾け、譜面も読めるが、あまりそのことを表に出さない

と語っていますので、今後、坂場がピアノを弾くシーンなどが出てくるかもしれませんね!

東洋映画では、最初は不器用で理屈っぽい変人くん…と言うイメージでしたが、短編映画の制作を通して、次第に、スタッフたちとも打ち解けはじめてきた様子ですので、新しい一面がみられることを期待しています。

神地航也(作画新人)の実在モデル

短編映画の打ち合わせ中、突然のコメントで、周囲を驚かす、新人アニメーター。

入社試験でダントツトップで入社した実力の持ち主で、突拍子もない発言で周囲を驚かせ周囲を巻き込んでいく、神地航也のモデルは、宮﨑駿です。

宮﨑駿の略歴

1941年1月5日東京府東京市(現・墨田区、文京区)生まれ。

幼児期に宇都宮に疎開、1950年小学校4年に進級時に東京都杉並区永福町に転居。

大宮小学校に転校、1951年永福小学校へ編入後、杉並区大宮中学校入学。

1956年東京都立豊多摩高等学校入学。

1959年学習院大学政治経済学部に進学。

卒業後、1963年にアニメーターとして東映動画に定期採用で入社し、動画などを手がけるようになります。

1971年Aプロダクション(現・シンエイ動画)へ移籍。

1973年ズイヨー映像(現・日本アニメーション)へ移籍。

1985年にスタジオジブリを設立。

配偶者は、 宮﨑朱美(妻)

幼少期から、絵は、ずば抜けてうまく、熱心な読書家、漫画少年でもあったそうですが、高校時代に観た東映動画の「白蛇伝」(東洋動画の「白蛇姫」のモデル)に感動し、アニメーションにも関心を持つようになりました。

美術大学の進学を希望していたが、父親の反対を受け、学習院大学へ通いながら、絵の勉強を続けました。

大学時代は、学生運動が盛んで、政治的興味も湧いたようです。

時代背景と、政治経済学部在籍、さらに、絵という表現手段を持つことで、ストーリーや企画に対してもどんどんアイデアを生み出していく宮崎氏の他者への影響力みたいなものが、神地航也のキャラクターにも、つながっているようです。

ちなみに、妻の宮﨑(大田)朱美は、東映動画の同僚ですが、東洋動画の、三村茜 (渡辺麻友)のモデルになっているようです。

おわりに

この記事では、

  • 東洋動画のモデルは、東映動画(現・東映アニメーション)
  • 坂場一久のモデルは、高畑勲
  • 神地航也のモデルは、宮崎駿

ということで、いずれも実在していると言うことがわかりました。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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