こんにちは!タンゴです。
夏の甲子園2019第101回全国高校野球選手権大会の4強が出揃いました。
今年は、4校とも春夏通じて優勝は未経験で、星稜を除く3校が、夏の大会初のベスト4進出で、話題となっています。
この記事では、
- 岡田龍生監督(履正社)のwiki経歴と意外な過去
- 岡田龍生監督(履正社)の監督経歴と指導方法
についてまとめました。
甲子園準決勝、決勝を観戦する参考になれば嬉しいです。
岡田龍生監督(履正社)のwiki経歴と意外な過去
夏の甲子園2019で、初の4強入りを果たした大阪府の私立履正社高校の野球部監督・岡田龍生の経歴を紹介します。
履正社・岡田龍生監督 「ゆとり教育でも甲子園に行ける」理由(FRIDAY) https://t.co/2p0l8BNdo6 pic.twitter.com/bbH3qyd9tw
— 女子力@相互フォロー (@jyoshiryoku0018) March 29, 2019
氏名:岡田龍生(おかだたつお)
生年月日:1961年5月18日
出身地 :大阪府
出身高校:東洋大姫路高校
出身大学:日本体育大学
担当教科:保健体育科
中学時代は野球部とバレーボール部を掛け持ち
大の野球好きだった祖父と、キャッチボールの相手をしてくれた母親の影響で、小学生時代は野球少年として育ちます。
母・静子さんは、1950年から約2年間活動した女子プロ野球の選手でした。
中学では、野球部の活動日が週に3日しかなかったところに、バレー部の顧問でもあった担任教師にバレー部との掛け持ちを勧められ、部活の掛け持ち生活が始まりました。
バレーボールにのめり込んでいき、運動能力も抜群、バレー部では最後キャプテンにまでなりました。
当初は、高校でもバレーを続けるつもりでしたが、身長があまり高くなかったことで、担任から野球の選択を勧められます。
甲子園を目指して東洋大姫路へ
野球をやるなら、とにかく甲子園に近いところと考え、最終的に兵庫にある東洋大姫路高校に進学します。
1年の夏に、東洋大姫路は甲子園で全国制覇をしています。
当時の練習量は半端なく、徹底した繰り返しを行うもので、上下関係も厳しかった。
何度も辞めたいと思ったとのことですが、何事も中途半端を許さない元女子プロ野球選手の母・静子さんには、あっさり却下され、猛練習にもひたすら耐え続けます。
しかし、絞られても音を上げない根性が指導者たちの目にとまり、2年の秋から主将に任命されます。
3年の時には、1番三塁手として甲子園を経験し、春は準決勝・夏は準々決勝まで勝ち上がりました。
この時、甲子園のグラウンドで感じた高揚感は、いままで味わったことのないもので、厳しい練習の辛かった日々を一瞬にして変えた経験でした。
日体大に進学すると、教員免許を取得します。
卒業後は、鷺宮製作所で社会人野球を経験。
現役を終えたあと、桜ノ宮高校のコーチとして指導者生活をスタートします。
桜宮高校で2年間コーチを努め、1987年から履正社高校の教員となり硬式野球部監督就任しました。
岡田龍生監督(履正社)の監督経歴と指導方法
同好会レベルの野球部から甲子園初出場まで10年間
1987年の春、監督になった当時は、部員は元陸上部、元卓球部、元体操部の3人を含めた11人でした。
いわゆる、同好会レベルの野球部だったのを甲子園へ出場へ導いて行きます。
専用グラウンドがなかったため、練習は放課後の校庭で、他のクラブと共用で行なっていました。
空きスペースでキャッチボール、内野ノック、バント練習を徹底しておこない、ほかのクラブの練習が終わった18時半頃からフリーバッティングを開始します。
各大会で、初戦敗退を繰り返していた弱小チームだった履正社の野球部を強豪へと変えていった指導方法の要となっていたのは、母親や中学時代、高校時代の指導者から学んだ「徹底」。
高校時代に、自ら甲子園で味わった、それまでの辛い練習があったからこその喜びの体験が、後押しします。
就任2年目からスポーツ推薦で部員を募集できるようになりますが、知名度も実績もない履正社に行きたいという生徒は皆無でした。
監督自ら、近隣の中学校やクラブチームを回り、受験してくれるよう関係者を訪ねるうちに、その情熱が伝わったのか、一定レベルの選手が集まるようになります。
89年秋の大阪大会では、優勝候補の上宮学園高校に勝ち、「履正社」の名を近畿圏内に広めることになります。
上宮学園高校は、宮田正直(元ダイエー)や中村豊(元阪神など)をはじめ、のちにプロへ進む選手が多数在籍する強豪です。
90年夏には、大阪大会でベスト8入り、監督就任からちょうど10年たった97年夏、甲子園初出場を決めます。
指導方法の見直しで甲子園で優勝を目指す
徹底した指導で、甲子園出場までの道を作った岡田監督でしたが、それまでのやり方に行き詰まりを感じるようになります。
大学時代に、やらされる野球では限界があるということに、薄々気づきながらも、結果を出し続けるために、高校時代の厳しい体験を選手たちに向けた指導を続けていました。
そんな中、2002年に、「行き過ぎた指導」により謹慎処分を受け、方向転換を決断することになります。
徹底はそのままに、そのベクトルを変えていきます。
以前は、与えた課題を徹底してやらせるという方法だったのを、選手たち自らが、自分で考えて動けるように、徹底して考えさせる。
身体だけでなく頭脳も鍛えることを重視した指導を行うようになりました。
走攻守に頭脳を加えた4拍子のバランスのよさが、履正社の最大の特長と言われるようになり、2006年春に2度目の甲子園出場を果たします。
甲子園出場回数は12回(春8回 夏4回)、大阪地区では、大阪桐蔭と「大阪2強」を形成するまでになりました。
次の夢は甲子園優勝です。
履正社高校は、2019年夏の甲子園では、4強入りを果たしました。
8月20日の準決勝戦で明石商業高校を7対1で下し、初の決勝進出となりました。
おわりに
この記事では、履正社高校野球部・岡田龍生監督の経歴についてまとめました。
- 岡田龍生監督の母は、女子プロ野球選手
- 中学時代はバレーに熱中
- 高校時代は甲子園出場でベスト4入り
- 同好会レベルだった履正社高校を10年で甲子園初出場に成長させる
- 指導方針の見直しで2019年甲子園では履正社高校を4強入りに導く
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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