林和成監督(星稜)のwiki経歴は?松井秀喜との関係や指導禁止復帰後の評判も調査!

こんにちは!タンゴです。

夏の甲子園2019第101回全国高校野球選手権大会の4強が出揃いました。

今年は、4校とも春夏通じて優勝は未経験で、星稜を除く3校が、夏の大会初のベスト4進出で、話題となっています。

この記事では、

  • 林和成監督(星稜)のwiki経歴
  • 林和成監督(星稜)の指導方針

についてまとめました。

甲子園準決勝、決勝を観戦する参考になれば嬉しいです。


林和成監督(星稜)のwiki経歴

夏の甲子園2019で、初の4強入りを果たした石川県の名門星稜高校の野球部監督・林和成の経歴を紹介します。

氏名:林和成(はやしかずなり)

生年月日:1975年7月23日

出身地 :石川県金沢市

出身高校:星稜高校

出身大学:日本大学

担当教科:地歴公民

名門・星稜高校出身で母校の監督に

出身は石川県で、星稜高校のOBです。

高校時代の出場歴は次の通りです。

  • 1991年全国高校野球選手権大会(ベスト4)
  • 1991年明治神宮野球大会(優勝)
  • 1992年選抜高等学校野球大会(ベスト8)
  • 1992年全国高校野球選手権大会(2回戦)

大学は日大で準硬式野球部のキャプテンとして活躍し、全国大会優勝もしています。

卒業後、母校の誘いを受け、1998年から野球部コーチを努め、2011年に監督になります。

監督就任後の戦歴です。

  • 2016年全国高校野球選手権大会(1回戦)
  • 2018年選抜高等学校野球大会(ベスト8)
  • 2018年全国高校野球選手権大会(2回戦)
  • 2018年明治神宮野球大会(高校野球)(準優勝)
  • 2019年選抜高等学校野球大会(2回戦)
  • 2019年全国高校野球選手権大会(決勝進出)

2019年は、話題の奥川投手を擁し、決勝戦進出を決めています。

松井秀喜との関係

星稜高校のエースといえば、松井秀喜です。

じつは、二人は、星稜高校時代にともに甲子園の土を踏んでいます。

松井秀喜より一学年下で、甲子園とともに人生を送っている一人です。

松井秀喜とは2年生の時に三遊間のコンビを組んでいて、現在でも交流があるそうです。

母校からの監督の誘いを受けた時、家業を継ぐか悩んで松井に相談したこともあるとか。

林和成監督(星稜)の指導方針

野球というより、甲子園とともに人生を歩んでいる感のある、林監督ですが、春の甲子園2019では、前代未聞のクレーム劇で注目を浴びることになります。

 

2回戦で対戦した習志野高校の控え室に乗り込み、相手のサイン盗みを疑い、直接抗議をしたというもの。(通称・サイン事件)

これがきっかけとなった一連の騒動を受けて、林監督は指導禁止を言い渡されることになるのです。

結局、林監督不在の間は山下智将部長が監督代行を務め、北信越大会の優勝を決めることになりました。

林和成監督(星稜)指導禁止復帰後の評判

2カ月間の処分期間を経て、無事、監督として復帰することができた林監督ですが、この期間中は、相当に反省をしたようです。

記者会見では、

教員生活約20年を反省する日々でした。

全国から励ましのお電話やお手紙をいただいた。

いろいろな方々の思いを受け止めてこれから過ごさないといけない。

などと話し、神妙な表情で謝罪しました。

やはり、野球とともに人生を歩んできて、野球ができないということは相当こたえたようです。

2019年夏の甲子園では、一生巡り会えないと評する奥山投手に加え、チームの雰囲気が非常にいいということ。

反省を経て、以前より謙遜になったようで、選手たちに対して、「采配のミスがありながら、守り切ってくれた」などとコメントするシーンもあり、チームワークという点で、一皮剥けたという様子です。

全国制覇の実力はあると言われつつ、なかなか優勝に手が届かなかった星稜高校ですが、2019年夏は決勝進出となりました。

8月22日に、初の決勝進出履正社高校と対戦します。

おわりに

この記事では、星稜高校野球部・林和成監督の経歴についてまとめました。

  • 林和成監督の母校は星稜高校
  • 星稜高校時代は松井とともに甲子園出場
  • 母校からの要望で野球部監督に
  • サイン事件で指導禁止処分
  • 復帰後はチームワークを武器に甲子園決勝進出

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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