【なつぞら】バターチャーンとは何?晩成社と酪農やバターづくりの関係は?

こんにちは!タンゴです。

NHK朝ドラ「なつぞら」で、泰樹がバターづくりの夢をなつに語るシーンがありましたね。

この記事では、

  • なつぞらで泰樹が使っていたバターチャーン
  • 泰樹に酪農とバターづくりを勧めた晩成社

とは何かをまとめました。

なつぞらで泰樹が使っていたバターチャーン

泰樹がなつにバターづくりの夢を語るシーンで、登場する木でできた樽のようなものが登場します。

「それはなに?」となつが尋ねると、泰樹は、「バターチャーンだ」と応えます。

このシーンです。

バターチャーン??

知らない人には、聞き慣れない言葉ですよね。

私も思わず心の中で、聞き返しましたよ。

そこで、早速調べてみたところ、こんなものを発見!

アメリカの開拓者物語「大草原の小さな家」でも、登場していました。

気づかなかったか、忘れたか、いずれにしても、記憶なしです。

バターチャーン(butter churn)とは、生クリームを振盪(しんとう)させ、撹拌して、バターの粒子を生成させる昔ながらの伝統的な装置です。

【churn】《英語で「かき混ぜる」「激しく動く」の意》

現在でもバターづくりの原理は同じですが、効率の良い「連続式バターマシン」と呼ばれる装置により製造されることが多くなっているそうです。

チャーンを使った製造方法を、チャーン製法、それによって作ったバターは、チャーンバターと呼ばれています。

以前に、ペットボトルに生クリームを入れて、よく振ってバターを作ったことがありますが、それも、チャーンバターだったのですね!

名前は知らなかったけど、いまさら感動しました。

回転式のチャーンには、樽型と箱形のチャーンがあるそうで、なつぞらで登場したバターチャーンは樽の横に回転ハンドルのようなものがついていましたね。

泰樹に酪農とバターづくりを勧めた晩成社

泰樹が18歳で十勝に入植して、農業を始めようとした時に、入植地は火山灰が広がっていました。

そこで、先に入植していた「晩成社」に教えを請うたところ、酪農とバターづくりをすすめられたと話していました。

晩成社??

ということで、調べてみたところ、

晩成社とは、1883年に現在の帯広市へ入植した依田勉三(よだべんぞう)率いる開拓者団体です。

1881年に依田勉三は、十勝沿岸部を視察、大津で内陸部への開拓者の移住計画があることを耳にしました。

静岡県に帰郷した勉三は、兄佐二平以下の一族の賛成を得て1882年1月に開拓団晩成社(社長:依田園)を組織し、入植したのです。

晩成社の人たちは、本州とは異なる気候や風土にとまどいながらも開拓に立ち向かいました。

しかし、1年目に早くも将来に絶望して耕夫3戸が逃散、翌年には早くも8戸ほどにまで減少していました。

そんな中、近辺からアイヌの人たちが、小屋作り、新墾、再墾、播(は)種、除草、収穫等の開拓の仕事に従事、協力をしました。

そのころ、晩成社は豚や山羊を飼ったり、耕馬を入れたり、澱粉を試造するなどの努力も重ねたが、事業は不振を続けたとのことです。

参考:帯広市公式ホームページ 帯広市史

北の大地の開墾は、相当の困難を強いられたようで、アイヌ人の協力無しでは、立ち行かなかったようです。

1886年に晩成社は、牧畜業を始めました。

その記念として、北海道広尾郡大樹町晩成に復元された住居や句碑等は、現在でも見ることができます。

帯広市の菓子メーカー六花亭がつくる「マルセイバターサンド」は、この晩成社を記念したものです。

銘菓のひとつ「マルセイバターサンド」の名前の由来は、晩成社が十勝で最初期に製造を開始したバターの商標「マルセイバタ」にちなんだものです。

晩成社の「成」の字を丸で囲んで、「マルセイ」です。

六花亭は、なつぞらに出てくるお菓子屋さん雪月のモデルになっています。

おわりに

非常な苦労を強いられた北海道の開墾の歴史の中には、人間同士の助け合いや工夫など数多くのドラマがありました。

この記事では、

  • バターチャーンは、伝統的な製法でバターをつくる機械
  • 晩成社とは、北海道開墾の立役者依田勉三が組織した開拓者団体
  • 晩成社が、開墾に苦労した末、始めたのが酪農とバターづくり

ということがわかりました。

農業が上手くいかないことから、始まった酪農ですが、今では、北海道は日本の中でも、美しい場所の一つとして有名になりました。

何も無いというより、むしろマイナスの状態から、夢を持って、力強く生きていく姿そのものに美を感じました。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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